35歳で脳梗塞になった主婦の話。
シリーズ4記事目。
Contents
脳梗塞になって、8日目
脳梗塞発症8日目。脳梗塞を発症して1週間が経ちました。
午後から食堂カメラ検査の日。脳梗塞の原因を探る最後の検査です。
いつもは午前中検査して、午後リハビリなんですけど、この日は、午前に脳トレ的リハビリがありました。
絵柄のないパズルが全然出来なかった!マジでできなかった。パズル好きで得意なはずなのに、ショック。
先生曰く、前頭葉も多少ダメージを受けているから、らしい。新しいアイデアとかが出にくくなっていると言われました。
昼食は検査のため食べられなかったけど、リハビリ中なぜか気持ち悪くなったので、検査までずっと寝ころがってました。
リハビリ中に具合悪くなったのはこれが最初で最後。
食堂カメラでの心臓の検査
うとうとしたら体調は良くなったので、検査は予定通り決行。
狭い検査室にすごいたくさんの人、人、人。たぶん10人はいたと思う。なぜ検査に関係なさそうな人もいたのでしょう。見学??
のどの麻酔のゼリーを口に含んで出して、口にガードを入れる。
「カメラをごっくん飲んでください。」と言われても、あんな太いケーブル飲み込めません!1回目失敗。何度も失敗。
技術が進歩してカメラが小型化しているはずなのに、なんであのケーブルはあんな太いのでしょうか。太すぎん?
ぜったい食道の太さと同じかそれより太いんじゃないかと思ってしまう。何度目かで飲み込めて通ったのですが、のどに当たりまくり。
横向きに寝転がって口開けてひたすらに耐える。周りの人たちがあれやこれや画面を見ながら指示したり相談したり。
検査のために空気の小さな粒々(バブル)を点滴から入れるのですが、タイミングが難しいらくて何度かチャレンジ。
入れるタイミングで「腹筋に力を入れて!」と言われるのですが、横になって口開きっぱなしでリラックスしてって言われている状態で、腹筋に力を入れろと言われても無理難題。
助手さんが私のお腹を物理的に押すことで解決。何人私の体の周りで仕事してますかね。
画面を見ながら「ここじゃないですか?」「あ、これですよ。」「角度変えて。」とか話す人々。
そしてバブルチャレンジが終わったらなぜかみんなの雰囲気が明るくなりました。たぶん脳梗塞の原因がわかったから安堵したっぽい。
正直、「早く終わってくれー、無理ー、限界ー!」と思ってました。長かった。ガチでしんどい。
「ツバ飲まない。」って言われても無理ですよ。ああ、よく耐えた、頑張った私。
この検査中は、口のところでツバを受ける皿を持ってくれている人がいて、飲み込まないで出さないといけないんだけど、無理でした。
担当医の爆弾発売
食堂カメラの検査を終えた私に、その場で見守っていた担当医が軽やかに
「なかさん、脳梗塞の原因がわかりましたよ。明後日退院しましょうか。」
と告げる。私にとっては爆弾発言。
はい?退院???
最低2週間とか言ってませんでしたっけ?まだ脳梗塞になって1週間しか経ってませんけど?リハビリはどうするの??
頭の中大パニック。ついていけない。
どういうことでしょう。
検査結果や今後の話を聞く
検査後、担当医から「この日に全ての検査結果を報告します。」と言われていたので、旦那と私両親と私の4人で話を聞きました。
脳梗塞の状態をMRIで撮った画像で確認したり、発症時の状態や各検査の結果とかの話。
血管年齢は年相応だった、とか、いろいろ。そして脳梗塞の原因がわかりました。
脳梗塞の原因、判明
私の脳梗塞の原因は、心臓の壁に穴が開いていたことにありました。
専門的に言うなら「卵円孔開存を介する奇異性脳梗栓症」と言うらしい?(正確な細かな病名が記録されているわけではないので、たぶん。)
私の場合、右心房と左心房の壁に圧がかかると開く小さなトンネルがあって、普段は閉じている。どこかで作られた血栓が運悪くトンネルを通って脳の血管を塞いでしまった、のが今回の脳梗塞の原因だそうです。
食道カメラで裏から心臓を見てもわかりにくい位置に穴があって、しかも小さくて斜めってて、圧がかからないと開かないから検査も難航していたらしい。(空気バブルは壁に穴があるかの確認のため。通ったら穴が開いている証拠。圧がかからないと穴が開かないから「腹筋に力入れて。」って言われたみたい。)
たぶん、「穴あるだろう」でみんなで寄ってたかって確認したから発見できたものの、なんとなく検査したら発見できなかったんじゃないか?と思ってみる。
だから心臓のエコーとかでもわからなかったのね。
脳梗塞の原因としては珍しい部類の原因らしい。
血栓がどこでできたかは検査しても不明なままです。
退院後の薬の話
退院したら、血栓をとかす血液をサラサラにする薬を飲まなくてはいけない、とのこと。
2種類あって、私の場合どちらでも良いらしく、旦那の「なかちゃんは心配性だから、強めの薬の方が良いんじゃない。」という意見に素直に従う私。
しかし、これも後々後悔した選択事項。
※担当医が私がまだ月経があることを忘れていて、月経量が多くなることを言い忘れてたんから。(担当医若めの男性だし、患者さんのほとんどが高齢者だから仕方ないのですが。)
そして退院日。土日が悪天候なので、月曜日に退院しようと話し合って決めました。
脳梗塞、9日目
脳梗塞発症9日目。
朝ご飯の後、血液をサラサラにする薬(イグザレルト)が処方されました。
そしてついに、点滴から解放されましら!そうすると、途端に帰りたくなるのが心情。
しかも、天気予報を確認すると土日は悪天候ではなくなっていて、
「あれ?点滴も取れたし、なんでリハビリも回診もない土日に入院し続けて、子どもたちのお見舞いを待たないといけない??」
と疑問に思う。
旦那に「やっぱり土曜日退院したい!」とわがままを言い、看護師さんに懇願、外来中の担当医と連絡が取れずヤキモキしましたが、連絡が取れて無事土曜日退院で許可が出ました。
(担当医にしてみれば、だから最初から「土曜日退院で。」って言ったじゃん、と思ったかも。)
旦那には、「家掃除できてないし、まだ病院でゆっくりしててよ。」と言われたんですけどね。
点滴外れたら帰りたいよ。リハビリも回診もないなら病院いる意味ないじゃん
大部屋って気を使うしうるさいのよ、気が落ち着かないのよ、と思う。
退院時の服とか化粧品とかが必要になってくるので、持ってきてもらいました。
リハビリ最終日
この日が入院中最後のリハビリの日。(土日はリハビリはない。先週土曜日はあったけど、急ぎだったからあっただけみたい。)
まずは運動のリハビリ。6分くらい病院の廊下を歩いて、血圧などの異常がないか確認。異常無し。
肢体麻痺は完全になくなっていました。
短期記憶リハビリはいつも通り。「家事して育児することが1番のリハビリですよ。」といつだったかに言われました。
脳トレ的リハビリは、リハビリはほんの少しで、退院してからの注意事項の説明がほとんどでした。
・左側注意無視(左側注意欠損)が出ているので、車の運転は禁止。自転車の運転はかろうじてOKだけど、くれぐれも気を付けること。
・左側側注意欠損のリハビリとして、左右を見比べる間違い探しをやると良い。
・前頭葉のリハビリのため、ナンプレや脳の若返り本をやると良い。
とのこと。
リハビリの先生曰く、1ヶ月くらい経てば注意欠損も無くなるだろうとのことで、そうすれば再び車の運転も可能らしい!!運転再開できる可能性があるのは素直に嬉しい。ちょっとホッとしました。
「車の運転シミュレーターがある総合リハビリセンターに通院してください。」とのことで、紹介状を手渡されました。これが後にちょっとした混乱を招くとは知らず。
回診の思い出
そう言えば、回診について書くのを忘れていました。
入院中、担当医と、担当医とは違う若い先生も回診に来てくれました。担当医も若かったんですが、違う先生はもっと若くて、外来の先生ではなかったし研修医だったのかな?
回診は、毎回(ほぼ毎日)「いー」して、とか、「目をギュッと閉じて。」とか、「今日は何日?」と質問されたり、両腕をまっすぐ前に伸ばして目をつぶる、とかを確認されました。
実は、日付はちょっとやばかったんです。西暦がパッと出てこなかったことや、間違った西暦言ってしまって慌てて訂正したことがありました。
土日は基本的に回診ないんですよ。
何かあると診てくれるんですけどね。(日曜日の閃輝暗点の時とか)
ろれつの回復具合
ろれつは、脳梗塞発症9日目にはほとんどわからないくらいに回復!
でも早口言葉は無理。今まで言えていた早口言葉は言えなくなっていました。(元から早口言葉苦手だけど)
「機械の音声認識で認識してもらえるくらいに回復したい。」とリハビリの先生が言っていたのですが、今、ちゃんと音声認識してもらえています。
たまに認識してくれないけど、まあ、誤差の範囲内でしょう。
ただ、退院して半年間〜1年間くらいは、話始めがつまって言葉が出しにくいことがよくありました。
話そうとするんだけど、頭で考えている言葉を口に出せるまでワンテンポくらいタイムラグがある感じ。
今2年が経過して、言葉の出にくさは改善。舌がたまにもつれることはあります。早口言葉は今も苦手。たまに言葉につまる。
お見舞いを見送っていたら
お見舞いについてですが、「最低2週間は入院」と言われていたことと、ろれつが回ってなくて体調不良(食べられない、高熱など)だったことと合わせて、
「親族以外のお見舞いは入院し始めて1週間後から。」と決めていました。(母と旦那はほぼ毎日来てくれていたけど。)
周囲の人たちにそう伝達していたのに、蓋を開けてみればもう退院。
「もう退院します。」と喜ばしい連絡をしつつ、それでもこの日の夕方に、お見舞いに来てくれた方々に感謝です。
ちょっとしたまとめ話
ここからは、ちょっとしたまとめ的な話。
脳梗塞発症当日に救急処置のベッドで、担当医が「なかさんは若いから、リハビリをすればある程度元に戻りますよ。」と言ってくれていたのを思い出します。
ダメージを受けた脳が元に戻ることはありません。
しかし、人間の脳ってすごく不思議で、ダメになった部分の機能は、生きている脳がある程度補ってくれるのだとか。
脳の生きている一部は、
「おい!左手の指を動かすヤツらがやられたぞ。」「左側の口もダメだ。」
「じゃあオレらが代わりに動かすか、と思ったがうまくうごかないぞ。慣れないからなー。」
「よし、慣れてきて上手く動くようになってきた。」とか言ってるのかも。
脳梗塞発症9日目である程度回復し、重症の脳梗塞と言われた私がリハビリ入院せずに退院できるまでに回復したのは奇跡のようです。
人によって脳梗塞で残る後遺症はさまざまで、肢体麻痺が残ったり、簡単な計算ができなくなってしまったり、詰まった部分や範囲の大きさによってかなり違います。
私もすぐに退院できたからと言って後遺症がないわけではありません。
肢体麻痺が残らずに済んだので、見た目は普通の人。だけど、高次機能障害が少なからず残っているのでしんどいです。
不眠で眠れないし(2年経ってある程度改善)、頭痛がするようになったし、認知症のようにボーッとしたり、さっきのことが思い出せなかったり。言動がたまにおかしかったり。すぐ認知して動くことができなかったり。判断力が落ちていたり。
見た目では高次機能障害はわかってもらえないのも地味にツラいです。(正直、自分でもどこまでが後遺症なのか、年齢による衰えなのかわからないこともあります。)
退院が決まったのは嬉しかったですが、退院したからと言って問題が全て解決したわけでもなく、むしろ退院後がある意味地獄でした。